
数学者クルト・ゲーデルについて、私は長い間ひとつの勘違いをしていました。
それは、「ゲーデルは数学によって“神はいない”ことを証明した人物ではなかったか?」というものです。
ところが、あらためて調べてみると話はむしろ逆でした。
ゲーデルの名前と強く結びついているのは、有名な「不完全性定理」。しかしゲーデルは、それとは別に「神の存在論的証明」と呼ばれる論証まで残していたのです。
では、不完全性定理とは何なのか。ゲーデルは本当に神の存在を数学で証明したのか。そして本人自身は神を信じていたのか。
そんな疑問をまとめて追いかけることができるのが、高橋昌一郎氏の『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』です。
『ゲーデルの哲学』はどんな本なのか
『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』は、高橋昌一郎氏による講談社現代新書です。
タイトルを見ると、かなり難しそうです。
「ゲーデル」「不完全性定理」「存在論」と並んでいる時点で、数学や哲学に詳しくなければ読むのをためらってしまうかもしれません。
しかし本書が面白いのは、単に不完全性定理の数学的な証明だけを追う本ではないところです。
実際、本書では「不完全性定理のイメージ」から始まり、「完全性定理と不完全性定理」「不完全性定理の哲学的帰結」「ゲーデルの神の存在論」「不完全性定理と理性の限界」へと話が展開していきます。
つまり、数学者ゲーデルだけではなく、「ゲーデルは世界や人間の理性をどう考えていたのか」という哲学者としての側面まで見る本なのです。
そもそも不完全性定理とは何なのか
ゲーデルといえば、やはり最も有名なのが「不完全性定理」です。
かなり大ざっぱに言えば、第一不完全性定理は、自然数の算術を十分に扱える一定の形式体系について、体系が無矛盾であるならば、その体系の中では証明することも反証することもできない命題が存在することを示します。
さらに第二不完全性定理では、条件を満たす体系について、無矛盾であるならば、その体系自身の無矛盾性を体系内部だけで証明することはできないという重要な結果が得られます。
ここで私は、以前なんとなく、
「数学ですらすべてを証明できない」
↓
「だから神も証明できない」
↓
「ゲーデルは神の不存在を示した」
というような形で記憶していたのかもしれません。
しかし、これはかなり違います。
不完全性定理そのものは、神がいるとか、いないとかを証明する定理ではありません。
扱っているのは、あくまで形式体系における「証明可能性の限界」です。
実際、不完全性定理からそのまま神や神秘主義の存在を導こうとする解釈については、専門的にも飛躍があるとされています。
なお、「不完全性定理そのものをもう少し詳しく知りたい」という人には、竹内薫氏の『不完全性定理とはなにか 完全版』もおすすめです。ゲーデルの不完全性定理が何を意味するのかを、専門書ほど構えずに理解したい人に向いた一冊です。

不完全性定理とはなにか 完全版 ゲーデルとチューリング 天才はなにを証明したのか (ブルーバックス B 2277)
ところがゲーデルは「神の存在証明」も考えていた
ここから話が一気に面白くなります。
「ゲーデルは神はいないことを証明した」と思っていたのに、調べてみると、むしろゲーデルは神が存在する方向の論証を残していたのです。
一般に「ゲーデルの存在論的証明」と呼ばれるものです。
存在論的証明そのものはゲーデルが最初に考えたものではなく、古くから哲学・神学で論じられてきた神の存在証明の系譜があります。
ゲーデルは、それを様相論理を使って高度に形式化しました。
非常に単純化して表現すれば、
「ある公理や定義を受け入れるならば、“神的存在は必然的に存在する”という結論を論理的に導くことができる」
というものです。
ゲーデルの論証では、「肯定的性質」や「神的存在」といった概念が定義され、それらについての公理から神的存在の必然的存在へと進んでいきます。後年、この論証は自動定理証明器などを用いて形式的に検証する研究も行われています。
「数学で神の存在が証明された」と考えるのは早い
ここで非常に重要なのが、
「ではゲーデルによって神が実在することが数学的に証明されたのか?」
という問題です。
これは、単純に「YES」と言ってしまうと誤解を招きます。
論理的な証明には出発点があります。
たとえば、いくつかの公理を置き、その公理から論理規則に従って結論を導きます。
そのため、
「A・B・Cという公理を認めるなら、論理的にDという結論になる」
ことを証明できたとしても、
「そもそもA・B・Cが現実世界について絶対に正しい」
ことまで同時に証明されたわけではありません。
私はここが、ゲーデルの神の存在論を考えるうえで最も興味深い部分だと思います。
「神がいる・いない」という宗教論争だけを見るのではなく、私たちは何を前提として、そこから何を論理的に導いているのかという問題が浮かび上がってくるからです。
不完全性定理と神の存在証明は別物
もうひとつ、ここは明確に整理しておきたいところです。
不完全性定理から神の存在が証明されるわけではありません。
逆に、不完全性定理から神の不存在が証明されるわけでもありません。
この二つはゲーデルという同じ人物が扱ったため、私のように記憶の中で結びついてしまうことがありますが、別の議論です。
不完全性定理が扱うのは、形式的な数学体系における証明可能性の限界。
一方、存在論的証明は、一定の定義と公理を前提として神的存在の必然的存在を導こうとする論理的・形而上学的な議論です。
しかし別物でありながら、この二つを同じ人物が考えていたことには強烈な面白さがあります。
数学における形式体系の限界を明らかにした人物が、一方では人間が古代から問い続けてきた「神は存在するのか」という問題を論理によって追究していた。
この事実だけでも、ゲーデルという人物への印象はかなり変わりました。
「人間の理性には限界がある」とはどういうことか

『ゲーデルの哲学』というタイトルが示すように、この本の重要なテーマは数学だけではありません。
最終的には、「人間の理性とは何なのか」「論理によってどこまで世界を把握できるのか」という哲学的な問題にまでつながっていきます。
ゲーデルの不完全性定理を「人間には分からないことがある」という単純な話にしてしまうのは正確ではありません。
しかし少なくとも、数学の世界でさえ「適切な公理と論理規則さえ用意すれば、あらゆる問題に体系内部から答えられる」という素朴な万能観は成立しません。
20世紀数学史においてゲーデルの1931年の成果が極めて重要視されている理由の一つがここにあります。プリンストン高等研究所も、不完全性定理を20世紀の数学における画期的成果として紹介しています。
そして、この「証明できるものと、証明できないもの」という問題を突き詰めていくと、数学だけでは終わりません。
知識とは何か。
真理とは何か。
人間の理性にはどこまで到達できるのか。
世界には、人間が作った形式体系では完全に捉えきれないものがあるのか。
そうした問題へ自然につながっていきます。
この本が気になった最大の理由
私がこの本に興味を持った理由は、最初から不完全性定理を数学的に勉強したかったからではありません。
そもそもの出発点は、
「ゲーデルって、数学で神はいないと証明した人ではなかったか?」
という疑問でした。
調べていくと、それは違う。
不完全性定理は神の不存在証明ではない。
しかもゲーデル自身は、別に「神の存在論的証明」を考えている。
では、この二つはどういう関係なのか。
なぜ20世紀を代表する論理学者が、神という問題をそこまで真剣に論理で扱おうとしたのか。
ここまで来ると、単なる数学史ではなくなってきます。
「証明とは何か」「真理とは何か」「人間の理性で世界のすべてを説明できるのか」という問題に変わってくるのです。
そして、それこそが『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』という本のタイトルそのものなのだと思います。
数学が苦手でも読む価値はあると思う
ゲーデルという名前だけを見ると、数学が苦手な人にはかなり敷居が高く感じられます。
もちろん、不完全性定理そのものを厳密に証明しようと思えば、本格的な数理論理学の知識が必要になります。
しかし、この本を読む目的を「不完全性定理の証明を自力で再現すること」に置く必要はないでしょう。
むしろ、
「ゲーデルはいったい何を発見したのか」
「なぜそれが数学だけでなく哲学にまで影響したのか」
「神の存在論的証明とは何なのか」
「人間の理性に限界があるとは、どういう意味なのか」
という疑問を持った人が、ゲーデルの思想の全体像をつかむために読む。
そう考えたほうが、この本には入りやすいと思います。
『ゲーデルの哲学』はこんな人に向いている
特におすすめできそうなのは、次のような疑問を持っている人です。
・不完全性定理という言葉は知っているが、意味はよく分からない
・「数学には証明できないことがある」という話が気になっている
・ゲーデルと神の存在証明の関係を知りたい
・科学や数学と宗教・哲学の境界に興味がある
・「人間の理性には限界があるのか」という問題に興味がある
・神の存在を論理で扱うとどうなるのか知りたい
反対に、純粋に不完全性定理の厳密な数学的証明だけを勉強したい人なら、数理論理学の専門書を選んだほうが目的には合うでしょう。
本書はその一歩手前、あるいは別方向にある「ゲーデルという人物の数学と哲学をまとめて理解する本」として捉えるのがよさそうです。
不完全性定理だけでなく、ゲーデルが「神の存在」や「人間の理性」をどう考えていたのかまで知りたい人には、非常に興味深い一冊です。
まとめ|「神はいるのか」より、その考え方そのものが面白い
『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』に興味を持つきっかけになったのは、私自身のひとつの勘違いでした。
「ゲーデルは神がいないことを証明した人物ではなかったか?」
実際には、不完全性定理は神の不存在を証明したものではありません。
そしてゲーデルは、不完全性定理とは別に、神的存在の必然的存在を導こうとする存在論的証明まで残していました。
ただし、それも「数学によって現実世界に神がいることが完全に確定した」という単純な話ではありません。
一定の公理や定義を受け入れたとき、その論理体系から何が導かれるのか。
ここを理解することが重要です。
考えてみれば、これは神だけの話ではありません。
私たちは普段から何らかの前提を置き、その前提をほとんど意識せずに「だからこうだ」と結論を出しています。
その前提は本当に正しいのか。
論理的に正しいことと、現実について正しいことは同じなのか。
人間の理性は、自分自身を含めた世界をどこまで説明できるのか。
『ゲーデルの哲学』は、「神はいるのか、いないのか」という答えだけを求める本ではなく、その問いを考える私たちの「理性」そのものを問い直す入口になる一冊なのだと思います。
ゲーデルについて「不完全性定理を作ったすごい数学者」という程度しか知らなかった人ほど、数学者だけでは終わらないゲーデルの姿に驚かされるのではないでしょうか。























